ミッシェル・ポルナレフ

2020.08.23 Sunday 22:26
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    1971年には、高三になっていました。レコードはシングル盤よりもLPを、聴く音楽もニュー・ロックやアート・ロックへと変わっていきました。それでもラジオから流れてくるヒット曲にも耳を傾けていました。ミッシェル・ポルナレフもそんな中の一人でした。改めてレコードを聴くと稀代のメロディー・メイカーであることに気付きました。そのクォリティを10年以上も維持していました。今思えば、当時は彼のファッションに惑わされていました。

     屮潺奪轡Д襦Ε櫂襯淵譽奸織轡Д蝓爾妨づけ」(71年)

    ◆岼Δ隆蠅ぁ廖71年)

    「哀しみの終わるとき」(72年)

    ぁ岼Δ離灰譽ション」(72年)

    ァ崕蹐料曚そ弌廖72年)

    Α岼Δ竜抛」(72年)

    А岼Δ療狙癲廖73年)

    ─嵋困譴犬離哀蹇璽螢◆廖73年)

    「僕はロックンローラー」(73年)

    「火の玉ロック」(73年)

    「悲しみのロマンス」(74年)

    「悲しきマリー」(74年)

    「青春の傷あと」(75年)

    「リップスティック」(76年)

    「哀しみのエトランゼ」(77年)

    亜岼Δ離轡鵐侫ニー」(79年)

    院崚兄箸琉筝澄廖79年)

    JUGEMテーマ:アナログ

    category:レコード | by:j-k-nolen-lpccomments(2) | -
    Comment
    良い曲が目白押しですね。
    来日期待盤には笑いました。
    新宿厚生年金会館で見たライヴが思い出されます。
    ずっと未CD化のポルナレフ・ア・トーキョーの収録された時です。
    • 天野哲夫
    • 2020/08/24 11:32 PM
    来日要求盤というのも、確かありました。日本での人気凄かったんですね。来日公演行かれたとは羨ましいです。
    • 関口一夫
    • 2020/08/25 10:19 PM








       

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